いまこそ憲法 3

活動日誌
05 /08 2018
 いよいよ第3章の「国民の権利及び義務」です。
 この章は、まさに憲法の根幹とも言える章ではないかと思います。戦前は、国民のあらゆる権利が制限され、基本的人権という概念すら否定されていましたので、その反省の下に書き上げられたのではないかと思う点は、9条とも共通しています。
 第10条は、国民としての要件です。ここでいう法律とは、国籍法などを示しているのでしょうか。国籍法にはいろいろな問題があることが指摘されており、諸外国で常識になっていることが日本だけ取り入れられていない点があることなどがあるようです。また、付随する「戸籍」制度は、日本独特の制度のようで、「無くても何にも困らない制度」であると言われています。無くても困らないどころか、あることによって不当な差別の材料になっているとさえ言われています。そのうち、無くなることでしょう。
 さて、肝は第11条。この条文は、読む人を感動させずにはいません。法律の条文を読んで泣けるなんてことはあまりないかもしれませんが、歴史が少しでもわかる人は、泣かずにはおられないのではないかと、率直に思います。

第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

いまこそ憲法 2

活動日誌
05 /06 2018
 日本国憲法の第1章は天皇に関する条項ですので、国のあり方に関する実質的な最初の条文がこの「戦争放棄」の第2章です。しかも、第2章の条項は「9条」のみ。それだけ、この“戦争の放棄”を大事に思い、大切な条文であるとしていることがわかります。
 憲法のほぼ最初にこのようにわざわざ特に強調するように記述している条文をこうしてあらためて見ると、憲法制定当時の日本国民がいかにあの戦争を忌まわしいものとしてとらえ、いかに本気で不戦を誓ったかが身にしみます。戦後12年もたってから生まれた私には、“忌まわしい戦争”といってもその体験に基づいた実感はありませんが、想像力を働かせると、“何が何でも繰り返してはならない”という血の叫びが聞こえてくるようです。
 その、“何が何でも繰り返してはならない”という血の叫びを今こそ生かして、“安倍改憲NO!”のうねりを大きくしなくてはと思います。
第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いまこそ憲法

活動日誌
05 /05 2018
 安倍暴走政権のトンデモ政治で、憲法が未曾有(“みぞうゆう”ではありません、“みぞう”です。)の危機に直面しています。
 そんな今だからこそ、憲法の全条文をあらためて読み返して、私たちの生活をどうのように守ってくれているのかを再確認したいと思います。憲法学者ではないのでかなり素人解釈ですが、自分なりに考えたいと思います。
 まずは「第1章 天皇」です。よく、「日本国憲法はアメリカに押しつけられたもので、日本人が自主的に創ったものではない」と主張する向きがありますが、この第1章だけはその批判が少~しだけ当たっているのかもしれません。
 そもそも、あの忌まわしい戦争が終わった時、その戦争を起こしたのは誰か、誰に責任があるのかが問われました。その中で、ドイツやイタリアなどは時の最高権力者が明確に断罪され、戦争責任もしっかりと問われました。ところが、日本だけは、そうなりませんでした。その背景には、その後のアメリカのアジア戦略があります。アメリカは戦後の冷戦下で、アジアをわが物にするために、日本をその足がかりにしようと企んだのです。そのためには、日本が完全に民主的な政治体制になってしまうと、アメリカ軍の基地を置いたり、アメリカの言いなりになったりというようなことができなくなるので、戦前のゆがんだ体制を一部温存しながら民主勢力の活躍を押さえ込もうとしたということを狙ったのです。その象徴が、天皇制の温存です。もちろん、それまでの絶対主義天皇制とは形も権力も異なりますが、以下の条文にもある通り、他の条文とは矛盾するような「世襲」だとか、まっとうな法律とは言えない「皇室典範」の規定を優先するだとかのゆがみが残っていると指摘されています。
 民主主義を徹底すれば、こうした特異な人間の存在を認めること自体、大きな矛盾ですが、それだけでなく、条文自体にあちこち矛盾があるのではないかと言われていることは、残念なことです。
 ま、現在の憲法は、全体としては非常に良いものであって、すべてを守っていくべきと思いますので、少々矛盾があっても、完全に守り、大切にしていこうと思いますが、将来的にはこの部分は改善の余地が大いにあるのではないかとも思います。
 また、最近になって、天皇が政権に利用され、憲法で定められた権能を逸脱した行為を求められているのではないかという指摘もあります。現天皇が生存中に退位したいという意向であることの背景に、こうした現政権からの「憲法逸脱の圧力」があるのではないかというのです。だとすれば、現天皇の心中は大変複雑のものでありましょう。同条するとともに、その圧力をかけているかもしれない現政権へは大きな怒りを感じます。
 とにかく、条文を見てみましょう。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

市政報告会を行います

活動日誌
04 /17 2018
 3月議会で議論になったことなどを中心に、市政報告会を行います。
 たくさんのみなさんにおいでいただきたいと思います。
 どうかよろしくお願いいたします。

20180417a

本当の名前は大事

活動日誌
03 /17 2018
 全国商工新聞の今週号に、浜矩子さんが随想で、「名前には力がある。だから、相手製のネーミングで話したり考えたりしてはいけない。名前を知られることには、正体がばれるという効果もある。高度プロフェッショナル制度や裁量労働制という偽りの名前の背後には、残業代ゼロ制度という本当の名前が隠れている。」と寄せています。
 全くその通りですが、氏の指摘の通り、「働き方改革」に関しては、あまりおかしいとも思わずに流布している面があります。これも、氏の言うように、「働き方改革」ではなく、「働かせ方改悪」が本当の名前です。
 世の中には、そんな偽りの名前がまかり通っているものが、実はたくさんあるような気がします。その一つ一つをしっかりと見極め、本当の名前で呼ぶようにしたいと思います。
 とりあえず、例えば、「公の施設の再配置計画」は、本当は「公の施設の大廃止計画」というふうにね。

ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!

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