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悪いのは誰か ―電通事件―

活動日誌
01 /21 2017
 私のところには、さまざまな新聞やニュースレターなどが定期的に届きます。
 その多くは、議会活動を進める上でたいへん学ばされるものであり、一本一本の記事に書く人の研鑽や苦労、深い考察を感じています。ただ、ときとして、「ちょっと待てよ。それで良いのかな?」と感じるものもあります。
 最近も、ある施設のニュースレターに掲載されていた施設長さんのエッセイで、ちょっと気になるところがありました。
 次のようなものです。
 電通事件のことで触れるとするならば、気になっていることがあります。「サービスの過剰品質化」です。電通は企業体質が大学を卒業したばかりの女性を自殺に追いやったと報道されていますが、私はそのことに少々疑問点を感じています。広告代理店にとって顧客は「神」だとされています。まさに「お客様は神様です」の世界です。CMの撮り直しを急遼顧客側から要求されたり「あの女優の帽子の色が気に<わない」といったリクエストに応えようと努力したり、「明日の朝までに何とかして」と勤務時間外に連絡が入ったりするなどの無茶なクライアントの要求が背景にあったことを私たちはあまり気に留めません。電通の「鬼十則」が批判を浴びていますが、なぜあの企業が「鬼十則」の考え方に至り、それが長い期間を経て大事にされてきたかの背景を見つめることも同時に行なっていくべきだと考えています。だとしたときに、電通をあのような企業体質にしていった責任は企業側だけの一方的なものであったかを考えます。電話やメールの向こうにいる誰かは自分と同じ人間であり、愛する家族がいたり、半年も前から計画している旅行を楽しみに金曜日を過ごしている誰かだったり、家族に介護を必要とする人や病人を抱えているかもしれないし、様々な事情を抱えながらこの社会の中で生きている-人の人間に過きないのだという感情の欠落があったのではないかと思うのです。それについて過剰な競争にやすやすと乗り込み、終わることのない異常なレースに参加した企業体質が今、電通に問われていますが、私自身に引きつけて考えると、私だって同じようなことを職員に課していた覚えがないわけではありません。また-人の消費者として「明日でもよさそうな事」に、「何とかお願いしますよ」「お金払ってるんだから」と迫ったサービスのユーザーとしての経験もあります(少なからず多くの人たちも似たような経験をしたことがあると思います)。こうした「過剰品質」について我々は立ち止まって、それは現代に必要なことなのかどうかを確認する時期にきているようにも思います。

 なるほど、そうした視点でものを考えることも大事かな、と最初は思いました。おっしゃるとおりのオーバークオリティは日本のものづくりの体質にしみこんでいるというような見解も聞いたことがありますし、指摘の通り、消費者の側から要求する過剰サービスもないとは言えません。
 しかし、そのことで、ある企業が社員を働かせすぎることを弁護することになっては、この企業を免罪することになりかねません。
 確かに、電通はクライアントの過剰な要求に応えようとして、その結果、社員を過労死させるほど「虐待労働」させたのかも知れません。しかし、そこには、「クライアントの要求に応えることだけが善」という考えしかなく、つまりは、「クライアントの要求に応えて利益を得ることだけが善」という考えに、頭脳が占拠されているということではないでしょうか。しかも、ここで「利益を得る」主体は誰かを考えると、それは社員たる労働者ではなく経営者ですから、言い換えると、経営者は、「スポンサーたるクライアントに奉仕するために、労働者からは命を含めてすべてのものを収奪する」という営みをしているということになります。
 これは、ある意味で、「資本主義の本来の姿」ということかも知れません。しかし、資本主義の枠内でも、労働者の人間性を守り、健康で文化的な生活を保障するように国民すべてが努力を重ねてきたのが、現代社会ではないでしょうか。電通は、まさにその現代社会の流れにまっこうから逆らい、マルクスが生きていた19世紀のイギリスのような社会をめざしている実に犯罪的な企業であると言えるのではないかと指摘したいのです。
 また、このエッセイでは、こうした過剰サービスを求める風潮があたかも多くの国民の暮らしの中から生み出されるものであるかのような書き方をしているように感じられますが、だとすればとんでもないことです。一般庶民は、こうした企業に対して、「過剰サービス」を求めたくても、そんなことはできっこありません。ほとんど門前払いされるのが関の山です。
 こういうと、例えば「コンビニなどでは、一般庶民の求めに応じた過剰サービスが行われているではないか」とか、「日本製の家電製品は、一般庶民が求めるからオーバークオリティな製品ばかりではないか」という人がいます。しかし、これは詭弁です。コンビニの本部にしろ、家電メーカーにしろ、「より利益が上がるから顧客の動向に応じたサービスやモノを提供している」に過ぎません。庶民が求めるからではなく、儲けにつながるからなのです。
 そのことを見ずに、過剰サービスの責任を庶民に押しつけられてはたまりません。
 要は、企業としての「利益追求のみを求めるシステム」こそが問題なのであり、その周辺的影響として表出されているように見える「庶民の求め」に原因を求めてはならないと思うのです。
 昨今の社会には、声の大きな勢力が発する嘘と偽りが大手を振り、本質が見えにくくされるような風潮があります。安倍首相やトランプ大統領の発言がその最たるものです。私たちは、そうした嘘や偽りにだまされることなく、ものごとの本質を見極める努力を不断にしなくてはならないと考えますが、この電通事件でも、「本当に悪いのはだれなのか」「こんな悲しい事件をなくすには、なにをどう直すべきなのか」を、しっかりと見極めていくべきだと思います。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!

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