人口減は問題か

活動日誌
12 /01 2013
 新潟日報は、今日の一面で三条市の人口が10万人を割ったことをjは締め、新発田市や上越市ですでに大台を割っていると報道しました。
 確かに調べてみると、わが上越市の人口は、推計人口(平成22年国勢調査で得られた総人口を基準とし、毎月の出生・死亡・転出・転入を加減して算出した人口)で199,410人となっており、20万人の大台を割っています。
 一方で、住民基本台帳人口は202,028人であり、2500人ほどの差があります。大学生など、住民票を移さずに他市町村に住んでいる市民がいることで、誤差が生じていると考えられますが、逆に、他市に住民登録をしていながら、実際には上越に住んでいるという例もありますので、ホントのところはどうなのか、神のみぞ知るということでしょうか。
 さて、人口が減るということで、一律に危惧を抱き、何とかしなくてはという議論になりがちです。確かに人口減に対して何も考えずにいたり、手をこまねいてたりしてはいけません。しかし、問題は、単に人口が減るという表面的な現象だけではないはずです。
 新聞では、自然増減と社会増減についての言及がありましたが、本質的な問題は、それぞれの真の原因と、それを産み出している市政や市の環境ではないでしょうか。
 上越市では、自然減よりも社会減の方が大きいものと思われます。中にはやむを得ない場合もあることでしょうが、その原因の一つとして、市民にとって「住みにくい」という点があるとすれば、それをどう改善していくのかということが、市政の大きな課題です。
 その際、注意しなくてはならないのが、「住みやすさ」の定義です。
 一般的には、「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」といった指標が使われるようですが、その一つの安心度をとっても、人口当たりの病棟数という単純な数量で比較されがちです。その際に、病棟数が、急性期対応なのか、療養型なのかという点は、住む世代にとってたいへん重要な指標になるのですが、そこまで分析した上で考える必要があります。また、利便度や快適度にいたっては、現役世代にとっての利便性や快適性と、高齢者にとってのそれとでは、かなり質が異なります。
 さらに、富裕度に至っては、人口当たりの税収が使われているようですが、うがってみると、税金が高い市はランクが上がるといった変な話にもなりかねません。
 総合的に考えると、住みやすさは、高収入の視点から見るのか、庶民から見るのかで、まったく異なるというのが、感想です。私としては、あくまでも庶民の視点から見て、世代を超えてだれもが安心できることが一番だと思います。
 一つは、子どもや高齢者、女性、障がい者などの社会的弱者に対する支援が十分に行き届いていること、税金や保険料などの負担が軽いこと、急性期にも慢性期にも対応した医療が充実していること、これらが最低限の住みやすさの指標ではないかと思うのです。
 その視点で考えて、「上越市は住みやすくない」とされて人口が減っているのならば、これはたいへん重大の問題です。一刻も早く解決すべきです。上越市は、介護保険料が全国のトップクラスの高負担です。慢性期向けの療養病床は全国平均の数分の一の少なさです。そうしたウィークポイントを克服することで、「住みやすい街」にすることが、やはり求められているのだと思います。
 人口減は、それだけですぐに止められるものではないでしょう。しかし、上に述べた住みやすさをさらに充実させていって、他の町よりも優れたものにして、「住むなら上越」ということになれば、人口減どころか、増えていくことでしょう。
 人口を増やすための政策だけではありません。なによりも、今住んでいる私たちがより住みやすくなるための政策でもあります。ぜひ、こうした高福祉の都市にしたいと思います。
 さて、人口減は、それだけでは悲しむべきものではないという面もあります。例えば、学校では、子どもたちが減っていますが、逆に校舎の増築や教員の増員なしに少人数学級を実現させられるチャンスでもあります。このように、生かせばチャンスという面もあるのです。人口減を逆手にとって、一人ひとりの暮らしが豊かにできるような施策をどんどんとっていくチャンスにしようではありませんか。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!