「観光」について

活動日誌
06 /19 2013
 市内では、「いろいろ豊富な観光資源がある」「これを生かしてもっと観光客をよぶべきだ」という議論があります。前者は、私から見ても一面の真理であると思います。厳密にいうと、「観光資源」の定義に立ち返って正確なものの言い方も必要でしょうが、とにかく人をいやしてくれる自然や施設、人にぬくもりを提供してくれる人情や温かさ、そして海の幸と山の幸が同時に楽しめる豊かな食材など、挙げればきりがないほどの「資源」があると思います。しかも、他の地域ではなかなか触れることのできない「珍しいもの」だって、いくつもあるのではないでしょうか。
 しかし、それだけで「観光客をよぶ」ということになるかどうかは大いに疑問です。
 国内には、たくさんの観光地と呼ばれるところがあります。お隣信州しかり、金沢しかり、以前の職場の修学旅行の引率で経験した長崎や沖縄は、その地がそっくり観光地といっても過言ではないようなところでした。
 そして、そうした観光地に共通しているのは、受け入れる側のものの考え方の違いです。観光地といわれるところでは、なべてまず「客優先」「自分たちよりも客の都合や客の思いを大切にする」というように感じられます。実際には、観光客が金を落としやすいような仕組みを作っているだけかもしれませんが、少なくとも訪問した客にとっては、「自分たちの暮らしの都合を犠牲にしてでも客をもてなしている」という雰囲気を感じさせてくれます。つまり、「観光地」たるには、受け入れる側が、「自分の暮らしの便利さを犠牲にしてでも客をもてなすのだ」といった感覚を、接客業者だけでないおおかたの住民が持つことが必要であると思うのです。
 そう考えると、私自身は、自らの暮らしの便利さを犠牲にしてまでも客をもてなすという犠牲的精神は発揮しかねます。それよりも、「ここに住むとこんなに暮らしが豊かで便利ですよ」というようにして、定住人口を増やすことの方がより本質だと思うのです。
 そんなことを考えていると、簡単に「観光振興」という言葉は使えません。その中身をじっくり考えて、自分はどう意識してどんなことをしなくてはならないかをはっきりさせることが必要だと思います。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!