わけわからん言葉は止めて!

活動日誌
09 /19 2011
 カーラジオを聞いていたら、NHKのアナウンサーがある「道の駅」のスタッフに電話でインタビューをしていましたが、何かを聞くたびに、「~~ですかあ」と語尾を伸ばして、しかも最後の「あ」のところを強調するかのように語尾をあげているのを聞いて、実にいらいらしてしまいました。
 天下のNHKですから、アナウンサーといえばしゃべり方のプロのはず。それがこんなお粗末でいいのでしょうか。頑固な分からず屋のようなことをいうつもりはありませんが、プロならプロらしくしてほしいものです。
 さて、言葉でいうと、最近気になっているのが、「上越市役所用語」あるいは「上越市役所弁」とでもいうような言葉の使い方です。
 ほんの些細なことではありますが、気になってしかたありません。その一つは、「具体の」という言い方。本来は「具体的な」というべきところを、「具体の事例については今後細かく詰めてまいります」といった言い方をする方がおられます。気になったので調べましたが、一般的な日本語には「具体の」という表現は見あたりません。どこかの地域での表現なのか、あるいは新しい表現なのか、それとも私が知らないだけのある分野での表現なのか、実際のところはわかりませんが、気になります。
 二つ目は、「結果して」。前後の文脈から忖度すると、「結果として」あるいは「結果的に」というような意味で使っておられるようですが、まるで「なにげに」のような省略のしかたで気になります。少なくとも一般的な日本語の使い方とは思えません。
 そして三つ目は、「増高」。これには歴史?があってこうなったのかなと思うような経緯を感じています。その経緯とは・・・・
 そもそも初めてこれに似た言葉に接したのは2年ほど前です。何かの事業の経費が以前よりも増額することになった際に、その増額を指して「増嵩」という言葉を使って表現していることがありました。この「増嵩」はそれこそ役所用語で、あまり一般的ではありませんが、政府や各省庁からの文書には結構載っています。
 さて、これは「ぞうすう」と読みます。「ぞうこう」と読みたくなりますが、それは広辞苑によると慣用読みであり、正確な読み方ではありません。ところが、ある時の委員会で、行政の担当者がこの「増嵩」を「ぞうこう」と読んで説明していました。そこで、私はある職員の方に「『ぞうこう』とは読まないのではないですか」と訊きましたところ、「行政用語にあり、『ぞうこう』と読みます」とのこと。ところがいくら調べても、行政用語には「ぞうこう」という読み方はありません。あくまでも「ぞうすう」です。不思議に思いつつもそのままにしておりましたら、最近になって上越市役所内で作成した文書の中に、今度は「増高」という言葉が、「増嵩」と同じ意味の使い方で出てきました。これはどうしたことでしょう。
 ちなみに、「増高」という言葉は、辞書には出てきません。というよりも、全くの新語のようです。そこで想像するに、「増嵩」の意味で「ぞうこう」と入力し、それに近い漢字を当てはめてしまったのではないかと思ってしまいました。つまり、「増嵩」から始まって、読み方をまちがえ、今度はそのまちがった読み方に漢字を当てはめてしまい、それまでにない熟語を作ってしまったのではないかということです。
 もちろんこれは私の独断と偏見に満ちた想像です。きちんとした説明があるのかも知れません。できましたら、説明できる方、ぜひわかりやすく教えてください。
 ところで、「増高」を「ますこう」と読むと、一部の地域の人はわかります。実は秋田県横手市に県立増田高等学校というのがあって、略称が「増高」です。私はその横手市の増田町出身で、旧友の多くや私の弟が「増高」の卒業生です。一瞬非常にローカルな想像をしてしまいました。

コメント

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同感です

同感です。
私も「増高」=「ぞうこう」はおかしいしと思います。実際、聞いていてものすごくわかりづらいです。
役所の人たちも、内輪で使うならともかく、開かれた公の場で発言するときは、使わない方がいいと思います。

ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!