食物科募集停止

活動日誌
07 /15 2011
 今日の新聞報道で、前勤務校上越高校の食物科の募集停止が私学審議会にかけられ、承認されたことが報じられました。このままですと、来春には食物科は新入生がいなくなります。
 思えば、食物科は、今のような形で再スタートをした1982年以来、数々の卒業生を送り出し、上越のみならず日本全国に「板前」や「シェフ」の供給源となってきました。
 1982年といえば、いわゆる「ヒノエウマ」年生まれの子どもたちが入学する年でした。
 私が赴任したのは1980年。ヒノエウマを直前にして、「このままでは学校の存続が危ぶまれる」という危機感のもと、それこそ学校全体が一丸となって行く末を議論している最中でした。理事会も職員集団も、「この学校をなくしてはならない」という熱意を共有し、ともに侃々諤々の私論をしながら、学校のあるべき姿や、地域への貢献のしかたを含めて、どんな学校づくりをするかを話し合っている熱気の中に赴任したものです。そうした諸先輩たちの模索のすえに、それまでもあった食物科を一大改編し、卒業と同時に調理師免許が取得できる「調理師養成課程」としての食物科が、男女共学化とともに再スタートしたのです。
 しかし、たいへんだったのはその後でした。免許取得の条件整備のための関係職員の苦労は並大抵ではありません。また、共学化に伴う「荒れ」も経験しました。
 そうした苦労の中で、市内の有名どころの調理場の多くで、卒業生が重要な仕事を担う立場としてがんばっている現在の食物科が育まれてきたともいえます。同時に、そうした実績ある食物科が、現在の上越高校を支えてきたともいえるのではないでしょうか。
 その中にあっての募集停止です。その決断にいたる際に、それまでの歴史や果たしてきた役割、そして将来性が十分にかつ広く議論されてきたことを信じたいところですが、漏れ聞く話から想像すると、大いに疑問です。
 関係者の中ではそれなりに時間をかけて議論されてきたのかも知れませんが、えてして関係者は事態を客観視できないもの。学校を比較的客観視している市民からは、「食物科がなくなったら学校としてやっていけるの」という声も出ていると聞いています。また、卒業生やその保護者などからも、同様な感想が寄せられています。
 これらのことは、これからめざす学校像に、理事会をはじめとした推進者と一般市民のと間に大きなギャップがあることを示しています。もちろん学校像は外野が決めることではありません。最終的に責任を持つ方が自らの責任に基づいて決めることです。しかし、こと学校は、公教育を担う機関として学校法人にのみ認められた事業であり、ここには国民の負託に応える義務もあります。私塾ではありませんので、普通の会社のように役員だけで決めることはもってのほかです。
 そうしたことを含めて、多くの市民の感覚とずれている決定であれば、それは成功するはずがありません。また、市民からもその動向は厳重に見守られることになります。今後も目が離せません。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!