教育行政は

活動日誌
09 /17 2010
 昨日の市議会一般質問では、教育委員に対する質問も出ました。
 「教育委員として現代の教育に関してどう考えているか」という問いに対して、直原教育委員長の代わりに出席した委員長職務代理の稲垣委員は、「学校では教師が子どもたちの前でしっかりした教育的パフォーマンスをすることが大事だと思う。私たち教育委委員は、教師がより働きやすい環境を整えるためにがんばりたい。」と答えていました。
 まことに見識ある答弁で、教育環境を整えることが教育行政の本来的役割であり、教育内容には介入しないという真摯な姿勢を示したものであると感じました。
 確かに現代の教育は岐路に立たされています。いろいろな社会的問題が教育のせいであるかのようにいわれている風潮もあり、そこから行政が積極的に教育内容に介入すべしという乱暴な意見もあります。
 しかし、教育内容に行政が介入することによって、すべての国民を洗脳し、不幸な戦争に駆り立てていった戦前の歴史を見るならば、行政による支配や介入がいかに危険であるかがわかるというものです。もっとも、現在すでに学習指導要領の強制という形で支配介入が実質的にされているという面もあり、基本すら守られていないという指摘もありますが、こうした行政の強制力と現場の子どもたちの実態に合わせた教育努力とが拮抗しているという姿が実際のところでしょうか。
 そもそも学校教育は、保護者からの公教育機関への付託がその存在の根拠であり、そこでは、まっとうな大人としての人格の完成や基本的知識技能の獲得こそが目的です。教育内容への行政の支配介入は、そうしたまっとうな大人を育てるのではなく、国家や時の支配者のために都合のいい「臣民」を作り出そうということになりかねません。こんな危険な思想こそ、完全に排除されるべきです。
 教育行政は、どの子も安心して学べるように、教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るために教育環境の整備を行うという、まさに基本中の基本を堅持すべきと思います。
 さて、昨日の質問では、「偏差値教育が日本をダメにした」という指摘がありました。日本がダメになったかどうかはともかく、偏差値教育がいいことではないことは明らかです。ただ、その偏差値教育はいったいどうしてこんなに進められることになったかという問題です。
 たしかに偏差値を重視して子どもたちにハッパをかけるようにしてきた実際の現場は学校です。しかし、学校が自らの考えで偏差値を偏重するようなことをしてきたのでしょうか。とんでもありません。そもそもは、偏差値だけで人を判断し、有名大学の卒業生や試験の成績のいい学生生徒を「エリート」扱いにしてきた企業や行政機関こそ、その大本を作ったのではないでしょうか。そして、同じ仕事をしていても、学歴で賃金を差別したり、極端な格差をつけたりしてきている企業社会こそ、その原因ではないでしょうか。
 学校は保護者とともに一人ひとりの子どもたちの幸せを追求するところですが、現代社会では「いい学校を出ていい会社に勤めること」でしか、幸せにつながる道を見いだせないという現実もあり、それに対応した指導をせざるを得ないという面があるのですが、それを学校のせいにされてはたまりません。
 すべての働く人が大切にされ、格差もなく、どんな仕事でも安定した収入が得られるようになれば、だれもが安心して自分のめざす道で自己実現を図ることできるようになります。そんな世の中を作ることしか解決の道はありません。学校のせいにせず、もうけだけを追求する企業社会こそ反省すべきと思います。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!