レルヒ少佐顕彰会

活動日誌
01 /12 2010
 今日は99年前の1911(明治44)年に、オーストリア・ハンガリア帝国の軍人、テオドール・レルヒ少佐が高田の地で陸軍第13師団の青年将校たちに初めてスキーを教えた日です。このことを記念して、金谷山公園レルヒ像前で「レルヒ少佐顕彰会」が行われました。
 雨模様のあいにくの天候でしたが、来年1月は日本スキー発祥100年となることから、シンボルマークの披露も行われ、全国にスキー100年を発信して、普及と発展を図ろうと、スキー関係者はじめ大勢の参加者で盛り上がりました。
 顕彰会に先立って、レルヒの会の方々による「一本杖スキー」も披露され、往事を彷彿とさせました。

 ところで、「日本スキー発祥の地」については、以前かなりの論争があったようです。
 高田でのスキー術講習に先立つこと7年、明治37年青森県野辺地の豪商野村治三郎氏は、外国雑誌でスキーを知り、東京の丸善を通じ運動具店にスキー2台を試作させ、自らも滑ったという記録が残っています。このことから、野辺地には「スキー発祥の碑」があるとのこと。
 また、1908(明治41)年に札幌農学校(現・北海道大学)のドイツ語講師として赴任してきたスイス人、ハンス・コラーは母国からスキーを取り寄せ、学生たちに紹介しました。このことから、大正時代に「スキー発祥の地」をめぐり、札幌か高田かで論争が起こったようです。
 結局、「確かに最初に滑ったのは高田ではない。しかし正式なスキー術を持ち込み、全国普及へのきっかけを作った高田こそ、発祥の地とすべきであろう」ということになったようです。今考えると、たいへん大人の裁定ではないでしょうか。

レルヒ顕彰会2
見事な一本杖スキーの技

レルヒ顕彰会1
ゲストの荻原健司氏の滑り

レルヒ顕彰会3
みんなでレルヒ像に献花

レルヒ顕彰会4
私もレルヒさんの前で

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スキー発祥

1911年(明治44)に初めてスキー指導が行われたのは金谷山ではなく、現在の城西中学校の場所にあった陸軍58連隊の営庭です。現在のグラウンドではなく校舎が建っているところです。
レルヒの会によりますと、11日の訓練予定が雨で延期され翌日になったとの事、12日も雨で朝8時予定が午後の訓練となりました。訓練内容はご存知の通りで、スキーを装着する訓練で14人の青年将校がレルヒから指導を受けました。

ご指摘ありがとうございます。わかりやすく金谷山としたのですが、正確な記述でないといけませんね。お詫びするとともに反省し訂正いたします。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!