ありがたい指摘

活動日誌
02 /02 2009
 先日ある方から、このブログの記述での不適切な表現についての指摘をいただきました。いわれるまでもなく、配慮の足りない表現であり、うっかりとはいえ、自らの不明を恥じるものです。また、その表現で不快な思いをされた方には、この場を借りて深くお詫び申し上げます。同時に、こうしてご覧いただいて指摘してくださる方の存在は実にありがたく、感謝に堪えません。今後十分に気をつけながら、自らを鍛錬していきたいと思います。
 さて、ぐずぐずしているうちに、最後の書き込みからかなりたってしまいました。その間、各種の行事や会合、できごとなどがありました。追々紹介しながら、思いを語っていきたいと思います。
 今日は議員定数の件です。
 現在は合併特例で48名になっている市議会の議員定数について、議会内でも検討が進められており、1月25日と2月1日には「市民の意見を聞く会」も催されました。
議員定数意見聞く会雁木通りプラザ
 市民の皆さんの間でも日頃から話題になっており、積極的に提言をしている方もおられます。先日もある方から声をかけられました。「忙しく働く議員もいる反面、中には暇な議員もいる。暇な議員はいらない。思い切って少数精鋭にすべきだ」とのことです。
 なるほど、そう考えるとそうかなとも感じられます。しかし、そう単純なものでしょうか。仮に一部に市民の負託に応えきれていない議員がいるとしても、そのために定数を減らすというのは、角を矯めて牛を殺すことにならないでしょうか。
 そもそも市政は市民の総意で運営するもの。直接全市民が集まって話し合えればそれにこしたことはありません。しかし、人口が多くなればそれも不可能。そこで生まれたのが代議員制。つまり、議員は市民の意見の代弁者です。ですから、自分たちの声をいかに生かすかという視点で、議会や議員定数を考えてほしいと思うのです。
 「議員族」みたいなのがいて、一般市民とは違った人種で、互いに行き来がないのであれば、「減らすべき」ということもわかります。しかし、議員は極端に言えば市民の単なる代表者。それを減らせば自分自身の視野と発言力を縮めることにもなりかねません。その意味で、議員と市民の間に「みぞ」があるとすれば、きわめて残念です。
 もちろん、議員自身の問題として、それぞれがきちんと仕事をすべきだという問題も重要です。この二つの問題は、互いに別の問題として考えていくべきであると思います。

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ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!