国旗や国歌

活動日誌
04 /15 2012
 最近ある人のブログを見たら、「自分の国を誇りに思うかというアンケート調査では、日本人はとても低い点数」だの、「日本人は自分の国の国歌や国旗が好きではない」だの、「60年代~70年代は確かに愛国心の教育がありませんでした」だのと書いてありました。そしてそれらのことがごっちゃになっていて、意図的に混同されるような書き方になっていました。
 たしかに、日本人にアンケートをとると、自分の国を誇りに思うという回答は多くないことが予想されます。しかし、それは質問のしかたがきわめて乱暴であり、「低い点数」を誘導しているようなものです。一口に自分の国といっても、人それぞれに何をもって「自分の国」ととらえるのかは千差万別。したがって、その評価もそれぞれでかなり異なるのはあたりまえです。
 私自身にしても、見方によってはかなり複雑です。例えば、四季がはっきりしている日本の国土や自然、花鳥風月という側面で見ると、この日本という国は私にとって大いに誇りであり、心から大切にしたい存在です。しかし、政治体制という側面で見ると、優れた憲法がありながら、それを生かせず、民主主義が名目だけになっているような現状は、とても誇りには思えません。政権を取ると手のひらを返したように公約を投げ捨て、国民を裏切るような政党が国会で多数を取ってしまうような政治の現状は、誇りどころか恥です。
 また、国民性でも、大災害にあっても互いに助け合い、略奪や暴動などにならないという点は誇りの一つですが、実はあの災害の際にも、避難所での性暴力などの犯罪は現にあり、そうした事実がまともに報道もされず、被害者の泣き寝入りになっている事実を産んでいる国民性は、誇りどころか恥です。
 このように、ものごとは実はかなり複雑であり、きちんとわけて考えなくてはならないのですが、そうせずにいろいろな側面をごっちゃにして、「日本人はどうのこうの」というのは、ある種の意図がある場合が多いのではないでしょうか。
 国旗や国歌についても同様です。一般的には国旗や国歌に誇りを持てないのは悲しいことでしょうが、日本の場合、誇りを持てないようなシロモノを、数の力で無理やり国旗や国歌として決めてしまったことに最大の問題があるということを意図的に隠してしまうことになります。
 「君が代」は、天皇を、憲法に定められているような象徴ではなく、国の支配者としてあがめるような意味の歌であり、主権在民の憲法とは相容れない内容です。そうしたものを国歌として定めたことが、そもそもの間違いです。例えば、宮沢賢治か金子みすずの詩を国歌として定めるのならば、多くの国民が誇りに思うのではないでしょうか。
 日の丸は、それ自体に大きな意味はないにしても、あの侵略戦争の際に、アジア諸国民に対して大日本帝国軍の暴力の象徴として使われた過去があります。ナチスドイツのハーケンクロイツのようなものでしょうか。そうした血塗られたシロモノを、いうに事欠いて国旗として定めるなんて、とんでもないことです。
 そうしたことを無視して、「誇りを持て」だのというのは笑止千万です。
 以前、前の職場で日の丸の掲揚に関しての議論をした際に、「あなたはオリンピックで日本人の選手が出たら、日の丸を振って頑張れと叫ぶ人たちを否定するのか」という訳のわからない批判をされたことがありますが、それもものごとを混同して考えている愚かな議論です。私とて、オリンピックで日本人の選手が出たら、心から応援します。その際に日の丸を振る人たちは、日の丸がだいじなのではなくて、がんばっている仲間たちであり、応援の対象はあくまでも人間です。日の丸という記号を応援してるのではないのです。たまたま日の丸を振るとわかりやすい、あるいはそれしかないために振っているだけで、あればその選手の出身校の校旗でもいいし、チームのマスコット旗でもいいわけです。そのことをごっちゃにしては、がんばっている選手がかわいそうです。
 いずれにしても、そうしたことをわざとごっちゃにして、誇りを持てないような歌や旗に「誇りを持て」「忠誠を誓え」「必ず歌え」と強制するのは、まさにファシズムといえます。大阪のハシゲ市長は、そうしたファシズムを進めていると聞きますが、もうそうしたファシズムはまっぴらです。もしかすると、「君が代」「日の丸」を強制する人は、多かれ少なかれ、ハシゲ市長のようなファシズムを進めようとしている人なのかも知れません。戦前の日本がそうだったように、無謀な戦争を招き、数千万人の命を奪うような恐ろしい世の中を望んでいる人たちなのでしょうか。そんなことはまったくまっぴらごめんです。
(大阪の橋下市長は、あまりにも破廉恥な人なので、地元の心ある人は「はしもと」とはいわず、「ハシゲ」と呼んでいるそうです。今回はそれにあやかりました。)

ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!