郷土の誇りとは・・・

活動日誌
03 /29 2017
 3月議会では、“春日山城の支城サミットを行ってはどうか”と質問が出されました。
 春日山城の各支城は、歴史資料としてはたいへん重要でしょう。しかし、よく考えると、これらは殺伐とした戦国時代の軍事施設です。それらは、当時の生産や生活を支えるものではありません。
 新田次郎の小説によると、川中島の戦いの際に、甲斐の兵は「越後の兵は戦場で米を食っている」と驚いたそうですが、当時のそうした越後の生産力の基礎になっているのは何なのかなどを明らかにする取り組みこそ大事なのではないでしょうか。
 当時の経済や生産力の基礎は「農」ですが、現在においても農業は上越の基幹産業です。そこで、当時からの新田開発、品種改良、用水確保、農器具改良、作業効率化としての組織改良などの歴史を明らかにし、学ぶことこそ、大事なのではないでしょうか。
 「新歴史博物館」では、こうした当時の“暮らし”を支えた先人の知恵を学べるようにしてほしいと思います。それこそが、刀などよりも郷土の誇りを感じる一番の材料です。

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日米共同訓練なぜ悪い

活動日誌
03 /14 2017
 先日から、日米共同訓練の反対運動を行っています。
 しかし、なぜ、こうした訓練に反対するのか、わかっていただけない方もいらっしゃるようです。
 うまくすっきり説明するために、ちょっと引用します。
 10年ほど前に、日本共産党の志位委員長が慶応大学で行った学生向けの講座の一部です。
 聴講生からの質問に答える部分です。ここでは「基地」問題を取り上げていますが、共同訓練も同様ですので、お読みください。

日本から米軍基地がなくなったら、だれが日本を守るのか
<聴講生>  素朴な質問なんですけれども、僕はべつに自民党の支持者ではありませんが、日本から米軍基地が仮になくなったら、だれが日本を侵略から守るのでしょうか。
<志位> この質問に答える前提として、事実としていま日本にいる米軍で日本防衛の任務をもっている軍隊があるかどうか、調べてみてください。
 在日米軍で最も数が多いのは海兵隊でしょう。四万七千人の在日米軍のうち二万六千人が海兵隊です。沖縄に海兵隊がいます。岩国にもいます。海兵隊というのは防衛の任務を与えられていませんよ。海外での戦争に殴り込む部隊なのです。
 それから在日米軍の空軍はどうでしょう。嘉手納の空軍基地、それから青森の三沢基地にもいます。これがどういう部隊かというと、航空宇宙遠征軍というのを編成しているのです。つまり日本を根拠地にして世界中どこでも、空中給油機と戦闘機と爆撃機が一体になって、どこでも爆弾を落とせるような体制になっている。空軍も遠征軍なのです。
 在日米軍の海軍はどうでしょう。横須賀を母港にしている空母機動部隊でしょう。空母というのは、今度のアフガン戦争をみたって、これも攻める一方の兵器でしょう。
 そうすると、在日米軍は日本を守るためにいるんじゃない。日本を足場にして世界に出ていくために、世界に殴り込むための部隊なのです。これがなくなることは、日本がかえって安全になるということなのです。まず、なくなることが安全なのです。
 日米安保条約を廃棄し、在日米軍には本国に帰ってもらって、そのうえでどうして日本を守るかということについては、そのときにすぐに自衛隊をなくすわけにいかないだろうと考えています。安保はなくしたいという人でも、自衛隊は必要だという考え方の人は多いですから。安保をなくして在日米軍がなくなるその段階で、自衛隊は抜本的に軍縮する。しかしこの自衛隊を解消する、憲法九条の完全実施の手続きをおこなうには、その先、一定の時間がかかるだろう。つまり、そのとき私たちが政権についていたとしますと、自衛隊と私たちの参加する政権が共存する期間というのがあるだろうというのが、私たちの見通しです。
 こういう期間をつうじて、民主的政権が、憲法九条をいかした平和外交によって、日本のまわりの国、韓国、北朝鮮、中国、東南アジア諸国、アメリカ、ロシア、そういう国々と本当の平和・友好の関係をつくって、もう軍隊がなくても大丈夫、もう十分に日本の平和は大丈夫という、国民多数の合意が成立したところで自衛隊の解消をおこなう。これが私たちのプランです。二一世紀の世界、東アジアの条件をみれば、そういう合意が成立することは、おおいに可能だと考えています。
 それでは自衛隊が過渡的に存在している期間に、もしも日本が侵略されるという事態が起こったらどうするか。これはほとんど想定できない理論的仮定なのですが、そのときの答えも私たちはこの前の大会で出しました。そのときは、そのときにあるすべての手段を使って抵抗する。その手段のなかから自衛隊を排除しない。自衛隊も活用するということです。
 そういう方針を決めていますけれども、憲法九条の完全実施のために、うまずたゆまず努力する、軍縮をはかり、国民の合意で最後はなくしていくという立場で努力するというのが、私たちの考えなのです。

4億7千万円の除雪費補正

活動日誌
02 /14 2017
 昨日、ファックスで通知があり、「除雪費が足りなくなりそうなので、4億7千万円の補正予算を専決で計上した」とのことです。
 先月13~15日の降雪が、昨年の3倍以上にのぼり、その後の排雪等に費用がかかったこと、今月11日以上の降雪でも除雪費が架かる見込みであることなどによるとしています。
 しかし、率直なところ、少々疑問なところもないではありません。確かに、昨年と比べると降雪は少々多いとは思いますが、それでもいつもの年と比べるとかなり少ないというのが実感ではないでしょうか。少なくとも補正予算で補てんするほど除雪費が足りないということには、違和感を感じます。
 当初予算は、今年が23億3千万円あまり、昨年度が23億1千万円あまりですが、昨年度の決算では22億5千万円あまりとなっています。なお、一昨年度の当初予算は22億円あまりです。これを見ると、決して少なくない予算に感じられます。
 いろいろと事情もあるのでしょうから、詳しくは今後決算の中身を見る必要がありますが、率直な感想として、いかがなものかと感じた次第です。

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安倍流「新しい国」

活動日誌
01 /24 2017
 敵を知り、己を知れば、百選危うからず。孫子の言葉ですが、こと現政権に関しては、知りたいと思ってもなかなか正確に知ることができません。なにせ、本人や周辺はウソばっかりついていますし、マスコミはまともに報道してくれません。今日のしんぶん赤旗1面のコラムにもあったように、ひどいマスコミになると、今そこで起こっている事実を完全にねじ曲げて、正邪を逆に伝えるというようなことまでしているのが実態です。
 そうした中、安倍首相の言う「新しい国」とはどんな国なのか、わかりやすくまとめたのが、21日のしんぶん赤旗の記事です。
 これを読めば、戦後最悪の政権がなにを狙っているのか、良くわかります。ぜひご覧ください。

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悪いのは誰か ―電通事件―

活動日誌
01 /21 2017
 私のところには、さまざまな新聞やニュースレターなどが定期的に届きます。
 その多くは、議会活動を進める上でたいへん学ばされるものであり、一本一本の記事に書く人の研鑽や苦労、深い考察を感じています。ただ、ときとして、「ちょっと待てよ。それで良いのかな?」と感じるものもあります。
 最近も、ある施設のニュースレターに掲載されていた施設長さんのエッセイで、ちょっと気になるところがありました。
 次のようなものです。
 電通事件のことで触れるとするならば、気になっていることがあります。「サービスの過剰品質化」です。電通は企業体質が大学を卒業したばかりの女性を自殺に追いやったと報道されていますが、私はそのことに少々疑問点を感じています。広告代理店にとって顧客は「神」だとされています。まさに「お客様は神様です」の世界です。CMの撮り直しを急遼顧客側から要求されたり「あの女優の帽子の色が気に<わない」といったリクエストに応えようと努力したり、「明日の朝までに何とかして」と勤務時間外に連絡が入ったりするなどの無茶なクライアントの要求が背景にあったことを私たちはあまり気に留めません。電通の「鬼十則」が批判を浴びていますが、なぜあの企業が「鬼十則」の考え方に至り、それが長い期間を経て大事にされてきたかの背景を見つめることも同時に行なっていくべきだと考えています。だとしたときに、電通をあのような企業体質にしていった責任は企業側だけの一方的なものであったかを考えます。電話やメールの向こうにいる誰かは自分と同じ人間であり、愛する家族がいたり、半年も前から計画している旅行を楽しみに金曜日を過ごしている誰かだったり、家族に介護を必要とする人や病人を抱えているかもしれないし、様々な事情を抱えながらこの社会の中で生きている-人の人間に過きないのだという感情の欠落があったのではないかと思うのです。それについて過剰な競争にやすやすと乗り込み、終わることのない異常なレースに参加した企業体質が今、電通に問われていますが、私自身に引きつけて考えると、私だって同じようなことを職員に課していた覚えがないわけではありません。また-人の消費者として「明日でもよさそうな事」に、「何とかお願いしますよ」「お金払ってるんだから」と迫ったサービスのユーザーとしての経験もあります(少なからず多くの人たちも似たような経験をしたことがあると思います)。こうした「過剰品質」について我々は立ち止まって、それは現代に必要なことなのかどうかを確認する時期にきているようにも思います。

 なるほど、そうした視点でものを考えることも大事かな、と最初は思いました。おっしゃるとおりのオーバークオリティは日本のものづくりの体質にしみこんでいるというような見解も聞いたことがありますし、指摘の通り、消費者の側から要求する過剰サービスもないとは言えません。
 しかし、そのことで、ある企業が社員を働かせすぎることを弁護することになっては、この企業を免罪することになりかねません。
 確かに、電通はクライアントの過剰な要求に応えようとして、その結果、社員を過労死させるほど「虐待労働」させたのかも知れません。しかし、そこには、「クライアントの要求に応えることだけが善」という考えしかなく、つまりは、「クライアントの要求に応えて利益を得ることだけが善」という考えに、頭脳が占拠されているということではないでしょうか。しかも、ここで「利益を得る」主体は誰かを考えると、それは社員たる労働者ではなく経営者ですから、言い換えると、経営者は、「スポンサーたるクライアントに奉仕するために、労働者からは命を含めてすべてのものを収奪する」という営みをしているということになります。
 これは、ある意味で、「資本主義の本来の姿」ということかも知れません。しかし、資本主義の枠内でも、労働者の人間性を守り、健康で文化的な生活を保障するように国民すべてが努力を重ねてきたのが、現代社会ではないでしょうか。電通は、まさにその現代社会の流れにまっこうから逆らい、マルクスが生きていた19世紀のイギリスのような社会をめざしている実に犯罪的な企業であると言えるのではないかと指摘したいのです。
 また、このエッセイでは、こうした過剰サービスを求める風潮があたかも多くの国民の暮らしの中から生み出されるものであるかのような書き方をしているように感じられますが、だとすればとんでもないことです。一般庶民は、こうした企業に対して、「過剰サービス」を求めたくても、そんなことはできっこありません。ほとんど門前払いされるのが関の山です。
 こういうと、例えば「コンビニなどでは、一般庶民の求めに応じた過剰サービスが行われているではないか」とか、「日本製の家電製品は、一般庶民が求めるからオーバークオリティな製品ばかりではないか」という人がいます。しかし、これは詭弁です。コンビニの本部にしろ、家電メーカーにしろ、「より利益が上がるから顧客の動向に応じたサービスやモノを提供している」に過ぎません。庶民が求めるからではなく、儲けにつながるからなのです。
 そのことを見ずに、過剰サービスの責任を庶民に押しつけられてはたまりません。
 要は、企業としての「利益追求のみを求めるシステム」こそが問題なのであり、その周辺的影響として表出されているように見える「庶民の求め」に原因を求めてはならないと思うのです。
 昨今の社会には、声の大きな勢力が発する嘘と偽りが大手を振り、本質が見えにくくされるような風潮があります。安倍首相やトランプ大統領の発言がその最たるものです。私たちは、そうした嘘や偽りにだまされることなく、ものごとの本質を見極める努力を不断にしなくてはならないと考えますが、この電通事件でも、「本当に悪いのはだれなのか」「こんな悲しい事件をなくすには、なにをどう直すべきなのか」を、しっかりと見極めていくべきだと思います。

ひららぎ哲也

 27年間の私立高校教員を経て、日本共産党の上越市議会議員になりました。
 学校での教育実践のモットーは「一人ひとりを大切に」。学校の枠を超えて、若者が夢と希望を語れるような上越市を作ろうと、市政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の市政から。市民が主役の上越市政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!