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いまこそ憲法 19

活動日誌
01 /01 2019
 人は、「人の役に立ちたい」「ともに力を合わせて価値あるものを作り出したい」と願う生き物ではないでしょうか。つまり、本来、人間は働くことを喜びに感じる存在だと思うのです。
 ところが、今のこの日本の社会では、一部の人を除いて、多くの人にとって働くことはそれぞれの喜びとはいえないような状況です。働いても働いても暮らしは楽にならず、中には働きすぎて死んでしまう人すらいるではありませんか。これは、現在日本社会のゆがみを表しているものであると思います。
 それぞれの人が、それぞれの思いを実現できるようにやいがいのある仕事ができ、しかもその仕事に対して十分な報酬が保証されるような世の中になれば、本来の人間の性質の通り、働くことが本当の喜びになるのだと思います。
 憲法は27条で、勤労に関して、「義務」としてだけでなく、「権利」としても言及していますが、まさにそのことを指し示している、誠に先見性のある法典であると思います。
 さて、働くことが権利でもあると実感できるようにするには、働くことに関しての条件整備がきちんとなされていなくてはなりません。そのことを指摘しているのが2項であり、実際には「労働基準法」など、各種の労働法制が制定されています。ところが、せっかく憲法で指示され、長い時間をかけて整備されてきた労働法制が、前世紀末から次々に壊されてきています。労働者派遣法がその典型です。そして、今回の「働かせ方大改悪」です。これらは、働くことが自己実現の喜びになるどころか、働くことを苦痛にさせ、生きていく権利すら奪うような内容です。これでは憲法の趣旨にも多くの人間の思いにも反します。一刻も早く労働法制を元に戻して、働く人を守らなくてはなりません。

第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

いまこそ憲法 18

活動日誌
12 /29 2018
 長い間、私学助成運動に携わってきましたが、その法的根拠になるのが、憲法26条の、「教育の機会均等」です。ここでいう能力というのは、その人の持てる力を完全に発揮できるための内的力であって、決して「経済的力量」ではないはずです。つまり、「お金があれば、それに応じて高等教育を受けることができる」ということではありません。ところが、実際にはそうなっている面が大きいのではないでしょうか。これでは憲法が泣きます。ましてや、教育の権利主体は子どもです。その子どもが、保護者の経済的な条件で教育を受ける権利を奪われたり、ゆえのない大きな負担を強いられたりすることは許されません。
 2項では、義務教育の無償を宣言しています。ところがこれも、実際には「明らかな授業料は徴収しない」というだけで、保護者の負担は小さくありません。各種教材費や給食費を含めて、完全に無償にすることが大切です。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

いまこそ憲法 17

活動日誌
12 /27 2018
 何度も似たようなことを書きますが、憲法が保障しているいろいろな権利は、それを実質的に守ることのできる保証があってこそ、活きてきます。25条の生存権も、これまでの長い運動や闘いの中で、実質的な制度としてのセイフティネットが整備されてきました。そしてその制度も、常に向上をめざす不断の運動がなければ政府によって切り下げられてしまいます。2項では国の責任としての社会保障の向上や増進について書かれているにもかかわらず、です。
 今、9条をはじめとして憲法そのものが危機に瀕していますが、社会保障を国の責任とした憲法の精神も、かつてなく危機的な状況です。これまで圧程度向上が図られてきた社会保障の各制度が、安倍政権の下で次々に破壊されようとしています。こうしたことを考えると、まさに戦後最悪の内閣であることは明瞭です。
 一刻も早く退陣させましょう。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

いまこそ憲法 16

活動日誌
12 /26 2018
 結婚にもいろいろな形があります。婚姻届を出すのか、誰とパートナーになるのか、結婚式をするのか、などを考えるだけでも形はいろいろです。
 例をあげると、 「私は同性のパートナーと暮らしています。同性婚は、欧米などでは合法化されて いる国もありますが、日本ではまだ法的には認められていません。今の法律婚前提の結婚制度とは別に、同性カップルにも認められる新しいパートナーシップ法につい て、仲間と勉強会を開催しています。 」というカップルや、「私は、婚姻届は出すけれど結婚式はあげない予定です。セレモニー的なこ とは余り好きではないし、結婚式費用にお金を使うよりも、その分をこれか らの生活のための費用に当てたいと思っています。 」というカップル、「婚姻届は出さないで、ふたりで契約書を作成しました。苗字を変えることや、 戸籍制度に違和感があります。今の制度や法律が、自分たちのニーズに合わな ければ、無理に婚姻届を出さなくてもいいと思い、このかたちを選びました。 」というカップルなど、カップルの数ほど特色があるともいえそうです。
 さて、憲法ではどうでしょうか。24条の解釈にはいろいろあるようですが、本質的にはどんな形の結婚であっても、そのカップルが社会的に認められ、守られること、カップルの両人が幸せに暮らしていけることを保証しているように思えます。もちろん、LGBTにとっても、同様です。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて」とありますから、かならずしも異性婚のみを規定しているとはいえません。同性のカップルも、合意のみで成立するとしていいのではないかと思います。もっとも、その後には「夫婦が~~」とありますので、「夫夫」などの場合には言語として少々合わないものもありますが、この点のみ拡大解釈すれば、基本的には「同等の権利を有することを基本として、相互の協力により」という基本的なところはまさにその通りに通用します。
 そして、第2項にある法律制定への指示は、「カップルや家族の権利を国はしっかり守りなさい」としているわけで、この精神に則って、行政の役割を的確に果たすことが必要です。
 例えば、「結婚をしていない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を、結婚した男女間の子の半分とした、 民法の相続格差規定」について、最高裁大法廷は 2013 年 9 月 4 日の決定で、「法の下の平等」を 保護した憲法 14 条に違反し、違憲・無効とする初判断を示しましたが、「遅いぞ、まったく」という感じです。
 そもそも、結婚を異性による法律婚のみとして、他のあり方を排除するような民法の規定は、憲法が制定されてすぐに改正されるべきものではなかったでしょうか。
 さて、最近は、結婚するに当たって契約書を取り交わすというのが広がっているとのことです。諸外国ではかなり普及しているとのことで、その後のトラブルを避ける意味でも有効だとのことです。具体的にどんなものなのか、実際に契約書を取り交わしたカップルにとってどんな効果があるのか、ぜひ実態を知りたいものです。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

いまこそ憲法 15

活動日誌
12 /25 2018
 学問の自由を考えるときには、多くは大学における学術研究の自由が話題になります。
 その際、問題になるのはもっぱら国家権力による直接的介入であり、研究の弾圧とも言うべき研究内容への妨害などが話題なるのではないでしょうか。
 このような直接的介入は、その違法性・不当性がわかりやすく、だれもが憤慨することになりますが、現代ではこのような直接的介入ではなく、じわじわと真綿で首を絞めるような、しかも確実に研究内容を支配するようなやり方が行われているようです。そのやり方とは、ズバリ研究予算や学費など、経済的なやり方です。
 防衛省は、大学などに研究を委託し資金を提供する「安全保障技術研究推進制度」を2015年度から導入していますが、これなどは典型的で、つまり「研究費がほしければ、悪魔に魂を売れ」と言っているようなものです。研究内容に関わりなく、最低限保証されるべき大学の研究費が、必要額の数分の一に削られていることが、根本の問題です。
 つまり、昨日書いた移転の自由や居住の自由と同じように、「あからさまに禁止はしませんよ。でも自由に研究するのなら自己資金でね」という形で圧力を加えているとしか思えません。これでは憲法が泣きます。
 さて、学問の自由は高校以下の教育の自由を含むのかという点では議論があります。
 最高裁は旭川学力テスト事件において、まず教育の自由という観点から「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されない」とし、教育の自由は学問の自由に「必ずしもこれに含まれるものではない」としていたポポロ事件判決を実質的に判例変更しています。また、教師の教育の自由については「専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならない」として教師の教育の自由を基本的に認めています。
 この視点で見るならば、「学習指導要領」の違法性・不当性は明らかです。ましてや、現在のように、指導要領からちょっとでもはみ出ると処分の対象になるなどという事態はとんでもない憲法違反であることは明らかです。ぜひ、国による教育の自由への弾圧を跳ね返していきたいものです。
第23条 学問の自由は、これを保障する。

ひららぎ哲也

 日本共産党の上越市議会議員を辞職し、県政をめざして日々がんばっています。
 「原発再稼働を許さず、県民の暮らし最優先の県政を」をスローガンに、県政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の政治から。県民が主役の新潟県政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!