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いまこそ憲法 13

活動日誌
09 /24 2018
 まったく、世の中は金と権力のある勢力の思うがままで、せっかく憲法で保障されていても「どこ吹く風」とばかりに妨害されるのが、集会や結社の自由です。戦前は、治安維持法などの悪法で直接集会や結社を禁じるという暴力的な手段が執られていましたが、さすがに現在の憲法の下ではあからさまな制限や妨害はしにくいと見えて、資本主義の原理を使った姑息な手段をとっています。
 つまり、自由に集会をやろうと思っても、費用を捻出できないと実質的にできなかったり、社畜として企業に従属させることで行動のみならず思想まで支配したりするという形です。
 いくら憲法で保障されているとは言っても、思い立ったらすぐにできないとすれば、絵に描いた餅ですから、自由を制限したい勢力にとっては実に都合のよい話です。
 そうしたことを考えると、憲法は理念を語るのみでなく、その理念を実現させるために必要な手段を確保する施策まで言及してほしいところです。
 もっとも、それは、憲法を生かすべき一人一人の国民の仕事なのでしょうか。まさに、「憲法を暮らしの中に」ということですね。
 憲法の理念を真に実現するには、その自由が保障されている一人一人の国民の不断の努力によって実質を伴うように行政を変えること、例えば気軽に集会ができるように公共施設をいたるところに整えさせたり、労働契約はあくまでも労働力の提供のみに限って人格まで支配することを厳禁することを法律に明記させたりすることが必要なのでしょう。
 とはいっても、今のような閉塞的な状況の中では、果たしてそれができるのかどうか、極めて不安になります。金と権力を独占している勢力(安倍晋三をはじめとする勢力のことです)は、呼吸するように嘘をつき、平気で人を陥れ、恫喝し、諦観させようとしています。これでは、せっかくの憲法も、その保証している権利の内容は想像上の産物になってしまいかねません。
 おっと、愚痴ばかりになってしまいました。愚痴を言っている暇があったら、憲法の理念に実質を付け加えられるように、多くの国民の声をまとめあげるべきですね。いくら金と権力を独占していても、多くの国民が思いをともにして声を上げれば、その鉄壁とも思える弾圧の壁は打ち崩すことができるのですから。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
   2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

今こそ憲法 12

活動日誌
09 /14 2018
 信教の自由とはあまり関係ないのですが、人の言葉のごく一部だけを取り上げて、解釈を歪曲して攻撃するというのは、いろいろなところで行われています。
 例えば、「マルクスは『宗教は民衆のアヘンだ』と言って宗教を否定した。だから、共産主義は宗教とは相容れず、共産党が政権を取ると宗教は弾圧される」などというものです。
 こういう論法を「牽強付会」とでもいうのでしょうか。とんでもない言いがかりとしか言えません。
 マルクスが宗教に関して述べたのは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかです。そこで述べたのは次の通りです。
「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」
 この記述をちゃんと読めば、マルクスがどのような意味で述べたのかわかると思います。決して宗教を否定するような文面ではありません。
 また、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのでもありません。
 そもそも、アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。
 アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしていた歴史的な事情が反映しています。キリスト教は、国王権力と支えあう関係になって、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていました。マルクスはそうした宗教の役割を批判したのです。
 ヨーロッパに限らず、日本などアジアでも、宗教は時として権力と結びついて民衆を苦しめる役割を果たしてきた歴史があります。そうした役割を果たしてきた側面は、批判の対象になるのは当たり前です。
 しかし、そのことと、一人一人の国民が自由に宗教を信じ、自分の信じる宗教を大切にすることは、権利として保障されるべきです。マルクスはそのことも含めて述べていますので、日本国憲法を100年ほど先取りしていたとも言えるではないでしょうか。
 いずれにしても、国民が自由に宗教を信じたり、あるいは信じなかったりする自由は、とことん保証されなくてなりません。同時に、宗教が政治に介入したり、政治が宗教を利用したりすることは許されません。そうした意味で、憲法20条の規定は、完全無欠の条文なのではないかと思います。もちろん、日本共産党の考えともぴったり一致しています。
 ちなみに、私は無宗教ですので、宗教的な哲学の持ち合わせはありませんが、それは私個人の話であって、他の人が持っている宗教的哲学に対しては、キチンと尊重し、仮に弾圧されるようなことがあれば、それがどんな宗教であっても弾圧者としっかりと闘い、その宗教を守ります。

第20条 信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

今こそ憲法 11

活動日誌
09 /13 2018
 思想や良心に関しては、憲法で保障されているとは言うものの、実際には行政当局や勤め先から監視され、自由ではないというのが皆さんの実感だと思います。
 これは、民主主義が日本に根付いていない証拠なのかなとも思います。ヨーロッパでは、中世の暗黒社会から脱皮する際に、国民自らが自由を求めて戦い、勝ち取ったという歴史があり、そのことから、常に自分たちの力で自由を守っていこうという気概があるのでしょうか、民主主義が市井に根付いているのではないかという気がします。(もっとも、私自身がヨーロッパで実際に見聞きしたわけではありません。念のため)
 そのことと合わせて気になるのは、権力を持った勢力からの弾圧や監視が高じて、普通の市民である隣近所や友人間でも互いに気にしたり気兼ねしたりという風潮があることです。
 だれしも、自分らしく生きたい、自分の考えを自由に持ち、自分なりの価値観を持って生きたいという思いがあるはず。それが、人に気兼ねすることなく、しかもそれぞれが互いに尊重しあえる、そんな世の中にしていかなくちゃと思うのですが、まだまだ道は遠いのでしょうか。
 しかし、普通の市民間で互いに気にしたり気兼ねしあったりするのは、例えば国政を堂々と批判するような考えを持った人は行政権力や勤め先などから不利益を受けるという実態があり、そんなのに巻き込まれたくないという、自己防衛からの姿勢かと思いますので、憲法で保障された思想信条の自由が、行政でも勤め先でも本当の意味で積極的に守られるようになれば、個人間の気兼ねなどは無くなるのかもしれません。
 そんなことを考えると、憲法をしっかり守って暮らしに生かすには、やはり安倍政権にご退場願うほかはないということになりますね。
第19条 思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。

いまこそ憲法 10

活動日誌
09 /11 2018
 このところ、多忙にまぎれてこのブログもとんとご無沙汰でした。
 本来、定期的に更新し、継続的に書き込むことで、初めて意味があるというのに、こんな状態ではどうにもなりませんね。
 反省しておりますが、「反省だけなら○○にもできる!」と叱られそうです。
 さて、憲法を逐条的に見てきました。ここからはいよいよ基本的人権を確実に保障する具体的条文です。
 第18条は、身体的自由権である奴隷的拘束・苦役からの自由についての規定です。
 奴隷のような扱いをされたり、苦痛を感じるような仕事をさせられたりすることは誰も望みませんが、「日本ではそんな目に合わせられることはありません。お国が許しません。」と宣言しているのが、この18条であるはずです。
 ところが、実際にはどうでしょうか。「職場に憲法なし」と言われるような状態が近年ますます激しくなってきており、牛丼屋のワンオペ、名ばかり管理職、派遣社員いじめなど、まるで人が奴隷のように扱われる現実は後を絶ちません。まして、国民一人ひとりを守るべき国自らが、守るどころかワーキングプアを生み出しているのですから、救いがありません。
 それに加えて、安全保障関連法、いわゆる戦争法の強行で、従来政府自らが「『意に反する苦役』に当たるので禁じられている」としてきた徴兵制までもが、現実味を帯びてきました。アメリカではすでに「経済的徴兵制」という形で、低収入の家庭に育ってきた子どもは軍隊に志願するしかないというところに追い込まれていると言いますが、日本でも他人事ではありません。
 もっとも、そんな恐ろしい状況になってしまっている原因は、ある意味ではっきりしています。安倍自公政権の暴走が原因なのですから、まず退陣してもらって、野党連合でしっかりと政権運営をしていけば、とりあえず万事解決です。実にことは簡単です。来年の統一地方選と参院選で勝てばいいんですから、明るくいきましょう。
第18条 何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない。

いまこそ憲法 9

活動日誌
07 /04 2018
 ご無沙汰しておりました。
 選挙とその後片付けなどでばたばたしておりました。
 憲法エッセイを再開したいと思います。
 第17条は、公務員の不法行為に関する規定です。第15条で、公務員の任務について規定していますので、本来は不法行為を行うような人は公務員にふさわしくなく、仮に不法行為を行ったらすぐに罷免などの処分をすべきですが、罷免しても被害を受けた国民が救済されるわけではないので、その救済に関して規定されているということだと思います。
 この条文は、国家賠償法の憲法上の根拠にもなっており、洪水について国の河川管理責任を問うた大東水害訴訟や多摩川水害訴訟、空港の騒音公害に関する大阪国際空港訴訟・厚木基地訴訟、鉄道や道路の騒音等に関する新幹線公害訴訟・国道43号公害訴訟など、多くの訴訟事件で争われました。
 国がやることであっても、不法行為になることはあり得ますので(いや、現状では政権のやることは不法行為の方が多いのではないかとすら言えますので)、その損害については、十分にかつ迅速に救済されなくてはなりません。いちいち裁判で何年も争うのではなく、国民の立場に立ってすぐに救済されるようにすべきではないでしょうか。
 さて、そこで問題になるのは、明らかに不法行為を行ったはずの公務員、それも超高級官僚が断罪されず不起訴になり、損害も救済されないという例があります。(下の記事、7/3しんぶん赤旗)
 ここで損害を受けたのは、全国民であり、国民の政治への信頼というとてつもなく大事なことがないがしろにされるという重大な損害が生じました。この賠償には、政権がすぐに退陣するという措置が必要であると思いますが、みなさんはどうお感じになりますでしょうか。
第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
20180704a

ひららぎ哲也

 日本共産党の上越市議会議員を辞職し、県政をめざして日々がんばっています。
 「原発再稼働を許さず、県民の暮らし最優先の県政を」をスローガンに、県政改革に挑んでいます。
 明るい街作りは暮らし応援の政治から。県民が主役の新潟県政に挑む「ひららぎ哲也」に大きなご支援を!